師に代て太山府君の祭の都状に入る僧の語(今昔物語集第19巻第24)
今は昔のことですが。
三井寺に智興というお坊さんがいました。とても偉いお坊さんで、あちこちでもてはやされていました。
ところが、重い病気にかかりました。
何日たっても病気は悪くなるばかり。
智興のお弟子さんたちは嘆き悲しんで、いろいろと加持祈祷(おまじない)をしてみました。
それでも智興の具合はよくなりませんでした。
智興もお弟子さんたちも
「安倍晴明なら病気を治せるかも知れない」
と思いました。
そこで、安倍晴明を呼んで、「太山府君(泰山府君)の祭」という術で智興の病気を治してもらうことになりました。
やってきた安倍晴明は智興の様子をみると言いました。
「この病気はとても重い病気で、たとえ『太山府君の祭』をしても助からないでしょう。」
「ただし」
と安倍晴明は言います。
「智興和尚の身代わりになってもよいというお坊さんを一人、差し出してください。その人を身代わりにすれば、助けられるでしょう。身代わりがいなければ、智興和尚の病気を治すことは難しいでしょう。」
智興のお弟子さんたちは立派な人たちでしたが、
「私が智興和尚の身代わりになってもいい。」
と思う人は一人もいませんでした。
みんな、「自分の命は惜しい。自分の命はそのままであって欲しいし、智興和尚の命も助けてほしい。」
と思っていました。
「智興和尚が亡くなれば、その跡を継ぎたい。」
とも思っていました。
お弟子さんたちも人間なので、
「身代わりになってもいい。」
と思う心が露ほどもないのは、当たり前のことでした。
お弟子さんたちは、安倍晴明から「身代わりがいれば智興和尚は助かる。」と言われても、お互い顔を見合わせて、なんも言えずにいました。
そこへ、弟子たちの中でも、特にこれといったところもなく平凡に暮らしてきた証空*1というお坊さんが進み出て言いました。
証空は、智興からも大切にはされていない、貧乏なお坊さんでした。
証空は言いました。
「私はもういい年になってしまった。この先生きるとしても、たいして長く生きられるわけでもない。貧乏なので、これから先、修行して悟ることもできないだろう。結局、いつかは死ぬのだから、今、智興和尚のため、私が身代わりになって死にましょう。さあ、私を身代わりにしてください。」
これを聞いたほかの弟子たちは、
「めったにない心がけだ」
と思いました。
弟子たちは、自分が身代わりになるとは言い出せなかった人たちですが、証空が身代わりになると聞くと気の毒だと思い、泣く人も多くいました。
安倍晴明は、身代わりになる人がいると聞いて、智興の病気を治すため『太山府君の祭』を行いました。
智興は、証空が身代わりになってくれたと聞くと、
「証空は長い間、弟子として近くにはいたが、他人を助けるために自分の命を投げ出すような心がけを持っている者だとは知らなかった。」
と言って泣きました。
『太山府君の祭』が終わると、智興は元気になりました。
証空を身代わりにして智興を元気にする術は成功したのです。
そうなると、身代わりになった証空はすぐに必ず死ぬはずです。
証空は、身の回りのものを整理したり、遺書を書いたりしました。
そして、自分が死ぬときのために用意した部屋に入って独りで念仏を唱えていました。
ところが、証空は、なかなか死にません。
死なないまま、夜が明けました。
みんな、証空は死ぬと思っていましたが、まだ死にません。
「今日こそは死ぬだろう」とみんな思っていました。
そこへ安倍晴明がやってきました。
安倍晴明は、
「智興和尚は助かりました。また、身代わりになろうとした証空も助かりました。二人とも、助かったのです。」
と言って帰っていきました。
智興もその立派なお弟子さんたちも、これを聞いて喜びのあまり泣きました。
冥府の神である太山府君が、智興の身代わりになると言った証空の心がけを「あはれ」と思って、二人の命を助けたのでした。
みんな、証空の心がけをきいて、証空のことをほめたたえました。
その後、智興は証空を大切に思って、ことあるごとに、ほかの立派なお弟子さんたちよりも面倒を見てあげましたが、それも当然のこととといえましょう。
そして、 智興も証空も、長生きしたということです。
( 出典)
芳賀矢一編『攷証今昔物語集 中』(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000561539-00
(コマ番号487以下)