最大版図を築いて転落した戦国大名
武田勝頼
長篠の戦いの前年である天正2年(1574年),明知城(美濃東部),高天神城(遠江)を落とし,浜松城にも迫る。
天正10年(1582年),天目山の戦いにおいて自害。
北条氏政
天正5年(1577年),里見義弘と和睦*1して下総と上総北部を得る。
天正10年(1582年),織田氏の滝川一益を追った後,徳川と争い*2,和睦して上野を得る*3。
天正13年(1585年),佐竹・宇都宮を下して下野南部,常陸南部を勢力下におく。
なお,氏政は,天正8年に形式上は隠居して氏直に家督を譲っている。
同年,切腹。
長宗我部元親
竜造寺隆信
肥前を平定し,大友氏を圧迫して筑前・筑後と豊前の一部を勢力下に収める。
肥後北部を勢力下に収めた後の沖田畷の戦いで戦死。
島津義久
天正12年(1584年),沖田畷の戦いを経て竜造寺氏を下し,筑前・筑後・肥前・肥後北部・豊前を支配。
豊後の大友氏を残すのみとなっていたが、豊臣秀吉による九州征伐によって大部分を失う。
戦後、薩摩・大隅・日向の一部を安堵される。