賀茂忠行、道を子の保憲に伝ふること(今昔物語集第24巻第15)
今は昔のことですが。
忠行は、陰陽道について昔の陰陽師たちにも引けを取りませんでした。
この時代の陰陽師たちと比べても並ぶ者がありませんでした。
なので、忠行は、朝廷でも街でも重んじられていました。
忠行が素晴らしい陰陽師だと聞いたある人が、忠行にお祓いをしてもらうことにしました。
忠行は、お祓いのために出かけようとしました。
すると、忠行の子供の保憲は、まだ10歳の子供でしたが、忠行の後ろをやたらと追いかけてきました。
しかたがないので、忠行は、保憲を牛車に乗せて、一緒に出掛けて行きました。
忠行は、出かけた先でお祓いをしました。
保憲は、忠行の隣にいました。
お祓いが終わると、忠行にお祓いをお願いした人は家に帰っていきました。
忠行も保憲と一緒に家に帰りました。
帰りの牛車の中で、保憲は
「お父様」
と言いました。
「何だ」
と忠行は応えます。
保憲は言いました。
「さきほどお祓いをしたところで、怖ろしい様子をしたものどもを見ました。人間ではないようですが、人間のような形をしていました。20人から30人くらいが出てきて、お供え物を食べていました。作り物の船や車や馬に乗って散り散りに帰っていきました。あれは何だったのでしょうか、お父様。」
保憲の言葉を聞いた忠行は思いました。
「私は陰陽道にかけては日本一だ。しかし、子供の時には保憲のように式神を見ることはできなかった。陰陽道の術を修めて初めて式神を見ることができたのだ。」
忠行は、保憲を見つめます。
「ところが、保憲は、まだ10歳だというのに式神が見えるという。並外れた者になるに違いない。神代の昔に遡っても、これほど陰陽道の才能をもった者はおるまい…。」
そう思った忠行は、自分が知っている陰陽道のすべてを、心を込めて保憲に教えました。
忠行が思った通り、保憲は陰陽道の天才でした。
保憲は様々な人に仕えて陰陽師としての仕事を立派に果たしました。
そして、保憲の子孫はその後も栄え、保憲の子孫である「賀茂家」は、陰陽道では他とは比べ物にならないほどの家系になりました。
また、暦を作ることについても賀茂家は欠かせない家系となりました。
出典
賀矢一編『攷証今昔物語集 下』(国立国会図書館デジタルコレクション)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945416
(コマ番号67)