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仏教,歴史,哲学,法律についての備忘録。

「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」と「罪証を隠滅する虞」との違い

「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」があるときが権利保釈の除外事由(権利保釈が許されない例外的な場合)とされている(刑事訴訟法89条4号)。

第八十九条 保釈の請求があつたときは、次の場合を除いては、これを許さなければならない。
一 被告人が死刑又は無期若しくは短期一年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪を犯したものであるとき。
二 被告人が前に死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪につき有罪の宣告を受けたことがあるとき。
三 被告人が常習として長期三年以上の懲役又は禁錮に当たる罪を犯したものであるとき。
四 被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。
五 被告人が、被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏い怖させる行為をすると疑うに足りる相当な理由があるとき。
六 被告人の氏名又は住居が分からないとき。

これは、元々は「罪証を隠滅する虞があるとき」という文言になる予定だった。それが国会の審議(昭和23年6月30日第2回国会衆議院司法委員会第46号)で修正された。

井伊誠一委員長の発言

○井伊委員長 それではこれにて質疑を打切ります。  なお委員長の手もとに各党提案にかかる修正案がまいつておりますので、この際これを朗読いたします。  刑事訴訟法を改正する法律案の一部を修正する案  刑事訴訟法を改正する法律案の一部を次のように修正する。

(中略)

 第八十九條第四号中「虞があるとき。」を「と疑うに足りる相当な理由があるとき。」に改める。

(中略)

修正案について提案の説明を願います。鍛冶良作君。

鍛冶良作委員の発言

簡單に修正案の理由を説明いたします。

(中略)

次に第八十九條第四号の修正でありますが、これは保釈を拒絶する理由の一つとして「罪証を隠滅する虞があるとき。」となつておつたのであります。この虞れありというだけでありますと、あらゆる場合が含まれますので、これを理由に保釈を拒絶せられることが多いと考えましたので、でき得るだけこれを嚴格に定むべきものだと考えまして、「隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」と改めて、相当な理由を明示し得るとき、または明示するにあらざれば拒否できないということに改めたのであります。

(後略)

刑事訴訟法89条4号の「罪障を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」と勾留の理由である「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」(刑事訴訟法60条1項2号)とは同義である。

本号*1に定める罪証隠滅のおそれも、60条1項2号のそれと理論的な意義では差異はない。
(『条解 刑事訴訟法(第4版増補版)』188頁)。

本条4号にいう罪証隠滅のおそれは、60条1項2号のそれと同義である。

(『逐条 実務刑事訴訟法』172頁)

しかし、どちらのコンメンタールも「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」を「おそれ(虞)」と軽く言い換えている。刑事訴訟法制定の経緯に鑑みれば、大変に不用意である。 

 

なお、上記審議の中で、岡井藤志郎は真っ向から反対する意見を述べている自由権は少数者の自由を保障するためにあることを理解しない主張であり、「不見識」といわざるを得ない。

○岡井委員 同僚各位からお出しになつておられる点、これは私も満腔の熱誠を捧げてこれに賛成し支持するものでございます。そのほかに私の個人の意見でございまするが、個人の意見でございまするのであえて皆樣にお諮りせずに、そのいとまもございませんでしたので、ここに提出する次第でございます。すなわち第三十九條第一項中「立会人なくして」を削る。その理由は、かくのごとく立会人なくして接見ができるとするならば、身体拘束の意義いずれにありやということを問いたい。身体拘束をする必要は毛頭ない。ただ体が刑務所におるというだけであつて、自由自在に交通ができる。いかなることでも立会人なくしてやれば天下なし能わざることなしです。そうして弁護人は当該事件の弁護に急なるあまり、いかなる聖人君子の弁護人でも、被告人と相当の相談をやり、相当の証拠隠滅は必ずやる。これはやらなければ人間でない。そうなれば勾引、勾留、逮捕ということはまつたくやめてしまつたらよろしい。何らの意義もなさない。

 その次は第百九十八條第二項を削る。それから第二百九十一條中「終始沈黙し、又は個々の質問に対し陳述を拒むことができる旨その他」を削る。それから第三百十一條第一項、及び第二項中「被告人が任意に供述をする場合には」を削る。その理由。そもそも身体拘束のごときこそ不利益供述強要の最たるものです。不利益供述を強要するのには身体拘束が最もよろしい。これ以上に有効適切なる方法はない。うそだと思つたら実驗を受けてみたらわかる。ところがこの論理に從い、実原則に從い、またほかの証拠に照し合わせてみたら、質問、尋問というものは決して憲法にいわゆる不利益供述強要ではない。それでわれわれはよろしくこの被告人の地位のみでなく、國家の地位を考えなければいかぬ。被告人のみの人権を擁護するに止まらず、國民大多数は善良なる人々です。この善良なる大多数の人々の基本的人権を擁護するということを考えなければいけない。贈收賄のごとく本人のほか知る者のない犯罪、これは贈賄者も收賄者もともに被告人になるべきものでございまするが、これらは本人のほか知る者はない。かような犯罪は國家の尋問権を認めなければわかりつこない。それから窃盗、強盗、殺人のごとき平凡なる犯罪は、被害届があつて被害はわかりまするが、本人に尋問することができなければ本人に結びつきがつかない。ですから贓品を一つもつておりましても、これこれの窃盗であると認定するわけにもいきませんし、またどの程度、どの分量の窃盗であるかということを認定するによしなきもので、刑の量定ができない。そこで弁護人と自由に交通ができるということと、國家は被告人に向つて尋問権がないということにいたしますれば、結局世の中のばか正直なもの、智惠の足りないものが罰せられて、少しく知識階級の者がこの二箇條を悪用したならば、もう刑罰を科せられるということは絶対にないという結果を招來するものと思います。政治家としてかかるむちやな立法に賛成をするということは不見識である。わが日本は経済その他あらゆる文明の点からいつても、アメリカのごとき大國と違いまして貧弱國である。生存競爭がはげしい。かような國で司法が乱れたならば國は亡びる。この重大なる点を私はいかにしても閑却することができない。それからすでに一言申し上げましてたが、國家が被告人に向い、被疑者に向つて尋問権がないといたしますならば、犯罪がありと思料しただけで無罪の判定を受くべき人間に向つて逮捕状を発する。勾引状を発する。無制限に勾留する。これいかに。ものをお伺い申すくらいは問うたらいいじやないか。尋問ぐらいはかけられないで國家であると言えますか。この点についてはアメリカがわからぬならばアメリカの蒙を啓く必要があると思う。私はかような立法に対しては、個人といたしましても断々固としてかような立法を阻止しなければならぬと思う。もり機会があれが本会議でもどこにでも出て、私一人でも反対します。かように思います。

*1:刑事訴訟法89条4号