黙秘権の根拠(なぜ黙秘が許されるのか)
※黙秘権の形式的根拠(根拠条文)については「日本における自己負罪拒否特権と黙秘権の根拠規定」を参照。
被疑者・被告人には黙秘権があります。
黙秘権の理論的根拠
黙秘権は自己決定権に基づくものです。
人は誰しも自らの意思で自らの行動を決められなければなりません。つまり、供述するかどうかも自らの意思のみで決められなければなりません。黙秘権が保障されないということは、自白するにせよ否定するにせよ供述を強制されることです。自己決定権の侵害です。
黙秘権の歴史的根拠
黙秘権は、拷問をはじめとする様々な自白強要が行われてきた歴史を根拠にしています。
現代でも自白強要は行われます。被疑者が全く供述をしない場合だけでなく、捜査官が供述してほしいと思うとおりの供述をしないときにも行われます。
黙秘権が完全に保障されれば、「黙秘します。」の一言で取調を終わらせることができます。黙秘権の行使で取調が直ちに終わるので自白強要の余地もなくなります*1。
「正直に話をするのが人として当然だ」と言えるか?
「正直に話をしろ」という潔い態度は、美徳というべき価値観です。ですが、ひとつの価値観に過ぎません。ある価値観を他人に押しつけることは不正義です。
また、話の聞き手も正直で潔いとは限りません。
意識的に悪意をもって解釈しようとする聞き手がいます。「我こそが正義」という紀尾井のある聞き手は、自分の見立てこそが正しいと考え、無自覚に、話を曲解することもあります。
こと犯罪に関して正直に話をすることは、冤罪という大きなリスクを生みます。正直に話をしても、受け手が悪意を持って解釈し、アリバイを崩す証拠*2を作出する可能性があるからです。
「潔白なら説明すべきだし、できるはずだ」と言えるか?
上述したとおり、聞き手が正直であるとは限りません。捜査官に対して必死に説明しても、捜査官が聞き入れて潔白を証明できる証拠を集めてくれるとは限りません。潔白を証明するための証拠は自分で集める必要があります。逮捕・勾留された人にはそれができません。弁護人がいるとしても、民間人でしかない弁護人(弁護士)の調査能力は捜査機関にはるかに劣ります。
また、人間の記憶は当てにならないものです。全体としては正しい説明をしたとしても、細部において事実と異なる場合はあります。我々は、2週間前の昼食の内容を覚えているでしょうか。それを覚えていないことを理由に、「あなたの記憶は当てにならない」と言われることは不合理ではないでしょうか。しかし、裁判官もそれを「不合理だ」と判断してくれる保障はありません。
なお、「犯罪は自分にとっても重大なことだから、昼食の内容と違って覚えているはずだ」という反論もあり得ます。ですが、人生での大きな出来事だからといって、細部まで覚えているでしょうか。受験したとき、告白したとき、結婚を申し込んだときなど、そうした印象深いはずの出来事であっても、細部まで覚えてはいないのが人間です。
「無実なら自白するはずがない」と言えるか?
刑事手続きに無縁な多くの人は、「無実なのだから、最初は釈放されるための方便として自白したとしても、いざ裁判となれば『真実』を話す、それが真実であると分かってもらえる。』と思ってしまいます。
しかし、その認識は誤りです。取調べから逃れるために虚偽自白をしてしまうことがあります。利益誘導が加われば、虚偽自白の可能性がさらに高まります。
平成9年(1997年)5月に千葉県流山市で起きた殺人事件では、被害者の親族(祖母と姉夫婦)が逮捕されました。祖母はいったんは自白しました。その後,否認に転じました(なお、姉夫婦は一貫して否認。)。幸いにして、その後、3名は釈放されました。そして,三名の逮捕から約14年以上が経過した平成24年(2012年)1月、真犯人が逮捕され、後に起訴されました*3。
このように、無実の人も自白します。