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仏教,歴史,哲学,法律についての備忘録。

足利義満の王権簒奪説(その欠陥)

今谷明は,足利義満天皇の地位を足利氏に移そうとしていたと主張する。
具体的には,後小松天皇の次に足利義嗣を即位させて王権を足利氏が簒奪するという計画を義満が実行していた,という主張である*1

正妻・日野康子を天皇の准母としたこと。

今谷は,義満が自身の正妻・日野康子を後小松天皇の准母としたことで,自身を「准父」「准上皇」にし,王位簒奪を推し進めたとする(同165頁)。
しかし,以下のように批判されている。

そもそも皇統は天皇(の血)から発生するものであって上皇(の号)から発生するものではない。このもっとも基本的な理解を忘れた点に「義満の皇位簒奪計画」説の誤りがあったといえよう。*2

義満の実母が天皇の血筋であること。

血統という点に関していえば,義満は天皇の血を継いでいる。
義満の実母・紀良子は順徳天皇の四世の孫に当たる。
しかし,義満は良子を冷遇し続けた。
良子を通じて義満に天皇の血が流れていることを根拠とする皇位簒奪説(の一派)では,このような冷遇を説明できない*3

日本国王」号を得たこと

明の皇帝から「日本国王」号を得たことが皇位簒奪計画の一環であったとする主張*4に対しては,「日本国王」号が天皇の権威に対抗し得るような空気は当時の日本になかったとの批判がある。中国びいきの義満に対しては,背後にいる中国王朝に対する畏れどころか,冷ややかな視線が向けられていた*5

足利義教の時代,幕府の重臣たちは,義満による「日本国王」号の使用は僭称であると言明している。冊封された後も,日本国内向けに「日本国王」号が認められたわけではなかった*6

*1:今谷明『室町の王権』170頁

*2:桜井英治『室町人の精神』(講談社学術文庫)74頁

*3:前掲・桜井19頁

*4:前掲・今谷116頁以下

*5:前掲・桜井75頁

*6:前掲・桜井76頁