SBGZ

仏教,歴史,哲学,法律についての備忘録。

学問とは分類すること。

この二つの世界の接続,即ち,「ベクトルのない」智慧の風光を「ベクトルのある」慈悲の実践へと繋ぐための一種のTIPSとして,プラユキ先生はカウンセリングや夢分析といった心理療法的な技法を採用されているのだと,私としては理解しているのですが,いかがでしょうか?
(プラユキ・ナラテボー,魚川祐司『悟らなくたって,いいじゃないか』(幻冬舎新書)148頁)

これに対する,プラユキ・ナラテポー師の回答。

そんなふうに言ってもいいでしょうね。ただ,私としては智慧と慈悲の場合と同じで,自分のやっていることを,「ここまではベクトルのない智慧の世界を知るための瞑想」「ここからはベクトルのある慈悲の世界で実践するための心理療法」といった形で,明確に切り分けているわけではないんですよ。それらも基本的には統合的に,同じ仏道の一環として捉えている。
(前掲)

学問とは,分類すること。
実践は,必ずしも分類を必要としない。
魚川氏は研究者。瞑想もしているけれど,根本は研究者。
プラユキ師は僧侶。学問的なことも語るけれど,慈悲の実践が第一。