仏教とアドラー心理学の共通点及び差異
今を生きる,ということについて。
アドラーは目的論。
仏教は因果応報。しかし決定論ではない。
仏教は,現在は過去(世)の業に依るとする。ただし,いまこの瞬間に善を行った「果」によって次の瞬間に生が好転することは当然あり得る。
前向きに今この瞬間を生きるべきとし、今この瞬間に幸福になれる(救われる)可能性を認めるという点で,仏教とアドラーは共通する。
承認欲求・他者貢献について。
アドラーは承認欲求を満たすことによる幸福を否定する。他者貢献をもって幸福とする。
仏教も承認欲求を満たそうとする行為を否定する。大乗仏教の場合,自他の区別をそもそも否定する。
しかし,仏教は他者貢献をもって幸福とはしない。
他者貢献も,それができない場合には「苦」になる。
仏教は利他行を推奨する。
しかし,利他業(他者貢献)によって幸せになるために推奨しているのではない。
煩悩(執着)を捨てるためである。
自他の区別を否定するためである。
利他が釈尊の生き方(大乗仏教の徒が理想とする生き方)だからである。
存在それ自体が他者貢献である*1と考えて,他者貢献を仏教上も目的と捉えることができるか。
「貢献できている」という主観が働く以上,「貢献できていない」と感じて辛い思いをすることがあり得る。
「苦」は消えないことになる。
他者貢献を目的化することはできない。
また,仏教は存在それ自体(生きていることそれ自体)に価値を見いだしているとは言い切れない。
さらには,見いだすことに価値を見いだしうるのか不明である。
*1:「生存しているだけで価値があり,他人ためになっている。」ということ。