SBGZ

仏教,歴史,哲学,法律についての備忘録。

歴史

名前の後ろに「あきら」がつく歴史上の人物

源高明(たかあきら) 安倍晴明(はるあきら) 平知章(ともあきら) 足利義詮(よしあきら) 足利満詮(みつあきら) 高師詮(もろあきら) 蘆名盛詮(もりあきら) 二階堂行詮(ゆきあきら) 瀬名氏明(うじあきら) 朝倉景鏡(かげあきら) 加藤嘉明(よ…

国司の位階

国名 官位相当(役職に対応する位階) 守(かみ) 介(すけ) 掾(じょう) 目(さかん) 大国 大和 河内 伊勢 武蔵 上総 下総 常陸 近江 上野 陸奥 越前 播磨 肥後 従五位上 正六位下 正七位下(大掾) 従七位上(小掾) 従八位上(大目) 従八位下(少目)…

最大版図を築いて転落した戦国大名

武田勝頼 北条氏政 長宗我部元親 竜造寺隆信 島津義久 織田信長 武田勝頼 長篠の戦いの前年である天正2年(1574年),明知城(美濃東部),高天神城(遠江)を落とし,浜松城にも迫る。 天正3年(1575年),長篠の戦い。 天正10年(1582年)…

室町時代の名門武家のその後

足利氏 嫡流→断絶 鎌倉公方(喜連川氏)→喜連川藩主 平島公方(平島源公)→帰農 斯波氏 宗家(武衛家)→肥後細川氏家臣 庶流(最上氏)→交代寄合 細川氏 京兆家→秋田氏家臣 典厩家→加賀前田氏家臣 野州家→長府毛利氏家臣 阿波細川氏→断絶 肥後細川氏→肥後藩…

賀茂忠行、道を子の保憲に伝ふること(今昔物語集第24巻第15)

今は昔のことですが。 賀茂忠行という陰陽師がいました。 忠行は、陰陽道について昔の陰陽師たちにも引けを取りませんでした。 この時代の陰陽師たちと比べても並ぶ者がありませんでした。 なので、忠行は、朝廷でも街でも重んじられていました。 忠行が素晴…

師に代て太山府君の祭の都状に入る僧の語(今昔物語集第19巻第24)

今は昔のことですが。三井寺に智興というお坊さんがいました。とても偉いお坊さんで、あちこちでもてはやされていました。ところが、重い病気にかかりました。何日たっても病気は悪くなるばかり。智興のお弟子さんたちは嘆き悲しんで、いろいろと加持祈祷(…

嫌々管領

足利義持・義教のころから,管領は誰もやりたがらなくなりました*1。 管領になりたくない理由 実権も実入りもない。 義持の頃から,中央と地方とのパイプ役は管領ではなく取次(申次)が担うようになりました*2。 義教の頃,中央の政策決定も,有力な一部の…

諸文明間の力関係

真の意味で西欧世界が他の主要な文明に対する圧倒的な優勢を確立するのは,近々,1850年以降のことにすぎない。 (マクニール『世界史(上)』211頁) 紀元前500年から紀元1500年までの2000年間,4つの主要な文明(中東,インド,中国,…

観応の擾乱における佐々木導誉

佐々木導誉は,観応の擾乱でも「ほぼ」一貫して尊氏側でした。 ただし一度だけ足利尊氏から「討伐」されています(以下の年表は亀田俊和『観応の擾乱』145頁以下に依拠)。 年 月日 出来事 西暦 北朝 南朝 1351年 観応2年 正平2年 7月10日頃 赤松則祐,興良…

足利義満の王権簒奪説(その欠陥)

今谷明は,足利義満が天皇の地位を足利氏に移そうとしていたと主張する。 具体的には,後小松天皇の次に足利義嗣を即位させて王権を足利氏が簒奪するという計画を義満が実行していた,という主張である*1。 正妻・日野康子を天皇の准母としたこと。 今谷は,…

イギリス議会制度の成功要因

イギリスの議会制度は,名誉革命(1688年)によって変化し,2つの特徴によって成功したとマクニールは考える(マクニール『世界史(下)』133頁以下)。 第1に,議院内閣制。 議員は自由で実際的な党派・政党を形成した。 議会は議会に代表を送り込…

専門家集団への信頼・法の支配の確立

マクニールは,ウェストファリア条約の締結(1648年)によって宗教革命による騒乱が終息していった後,ヨーロッパの指導者によって専門家集団が重用されるようになったと考える。訓練された専門家は,真理の全面的把握にこだわることなく,激情に駆られ…