テロ等準備罪・共謀罪
(テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)
第6条の2
次の各号に掲げる罪に当たる行為で,テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち,その結合関係の基礎として共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として,当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は,その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配,関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは,当該各号に定める刑に処する。ただし,実行に着手する前に自首した者は,その刑を減軽し,又は免除する。
- 別表第四に掲げる罪のうち,死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁固の刑が定められているもの 五年以下の懲役又は禁固
- 別表第四に掲げる罪のうち,長期四年以上十年以下の懲役又は禁固の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁固
(2項以下略)
構成要件は,以下のとおり。
- 一定の犯罪についての行為であること。
- テロリズム集団その他の組織的犯罪集団に該当すること。
- 当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で団体の活動として計画したこと。
- その計画をした者のいずれかにより,その計画に基づき,計画した犯罪を実行するための準備行為が行われたこと。
学問とは分類すること。
この二つの世界の接続,即ち,「ベクトルのない」智慧の風光を「ベクトルのある」慈悲の実践へと繋ぐための一種のTIPSとして,プラユキ先生はカウンセリングや夢分析といった心理療法的な技法を採用されているのだと,私としては理解しているのですが,いかがでしょうか?
(プラユキ・ナラテボー,魚川祐司『悟らなくたって,いいじゃないか』(幻冬舎新書)148頁)
これに対する,プラユキ・ナラテポー師の回答。
そんなふうに言ってもいいでしょうね。ただ,私としては智慧と慈悲の場合と同じで,自分のやっていることを,「ここまではベクトルのない智慧の世界を知るための瞑想」「ここからはベクトルのある慈悲の世界で実践するための心理療法」といった形で,明確に切り分けているわけではないんですよ。それらも基本的には統合的に,同じ仏道の一環として捉えている。
(前掲)
学問とは,分類すること。
実践は,必ずしも分類を必要としない。
魚川氏は研究者。瞑想もしているけれど,根本は研究者。
プラユキ師は僧侶。学問的なことも語るけれど,慈悲の実践が第一。
足利義満の王権簒奪説(その欠陥)
今谷明は,足利義満が天皇の地位を足利氏に移そうとしていたと主張する。
具体的には,後小松天皇の次に足利義嗣を即位させて王権を足利氏が簒奪するという計画を義満が実行していた,という主張である*1。
正妻・日野康子を天皇の准母としたこと。
今谷は,義満が自身の正妻・日野康子を後小松天皇の准母としたことで,自身を「准父」「准上皇」にし,王位簒奪を推し進めたとする(同165頁)。
しかし,以下のように批判されている。
そもそも皇統は天皇(の血)から発生するものであって上皇(の号)から発生するものではない。このもっとも基本的な理解を忘れた点に「義満の皇位簒奪計画」説の誤りがあったといえよう。*2
義満の実母が天皇の血筋であること。
血統という点に関していえば,義満は天皇の血を継いでいる。
義満の実母・紀良子は順徳天皇の四世の孫に当たる。
しかし,義満は良子を冷遇し続けた。
良子を通じて義満に天皇の血が流れていることを根拠とする皇位簒奪説(の一派)では,このような冷遇を説明できない*3。
詩歌選
遠州洋上作(遠州洋上の作)
(書き下し)
夜艨艟に駕して遠州を過ぐ
満天の明月思い悠悠
何れの時か能く平生の志を遂げ
一躍雄飛せん五大洲
(意訳)
夜,戦艦に乗って遠江沖を過ぎる。
空に満ちる曇りなき満月に思いは広がる。
いつか日頃の志を遂げて,
一躍雄飛したいものだ。この世界を。
沼津から軍艦浅間に乗って舞子へ向かう洋上の様子を詠じたとされる。
舞子は有栖川宮の別邸があった場所。
有栖川宮威仁親王が東宮賓友となったのは明治31年。
有栖川宮が東宮輔導となったのは明治32年。
九州巡啓があったのは明治33年。
大正天皇に知的障害があった云々と述べる人は,この詩を含めた1367首もの漢詩を大正天皇が詠んだという事実をどう考えるのだろうか。
そして,知的障害があったからといって何だというのだろうか。
よく分からない。
父君よ
父君よ今朝はいかにと手をつきて問う子を見れば死なれざりけり(落合直文)
小さな子どもが心配そうに,さして心配でもなさそうに,顔をのぞき込む様子か。
この歌を詠んだとき,落合の子は何歳だったのか。
隣室に
隣室に書読む子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり(島木赤彦)
となりの部屋で小さな子どもたちが無邪気に本を音読している声が聞こえる,という解釈がある。
他方で,それなりの年齢になった子どもたちが,病気の親を慮り,小声で教科書を読んでいる,その声を聴いて子らの思いやりを実感する,という解釈(本林勝夫『現代短歌評釈』)もある。
街をゆき
街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る(木下利玄)
冬が始まる。
*1:京極夏彦は,「河童はUMAではなく、土地の伝承なのですから。いたっていなくたって『居ると伝えられて』いるのです。地元の人は『河童が出たという文化』を大事にしているわけで,『生き物としての河童』なんて実はどうでもいいことでしょう。」とウェブサイト(週間 太極宮82号)で述べた。厳密には文脈が異なるが,須佐之男命の歌の捉え方に通じるものがある。
集団による意思決定
条件さえ整えば,集団の意思決定は一人の天才の意思決定に優る。
集団による意思決定は,意見の相違と異議によってよりよいものとなる。
意見の集計と集約(平均化)は必要だが,妥協ではない。
よりよい意思決定のためには,多様な参加者が,独立に行動する必要がある。
よりよい意思決定ができる「賢い集団」の4要件*1
- 多様性(集団に属する各人が独自の情報に基づく意見を持っている。)
- 独立性(他者の考えに影響されない。)
- 分散性(各人は身近な情報に特化。誰もが『専門家』であり,『専門家』は散在している。)
- 集約性(各人の判断を集計・集約するメカニズムが存在すること。)
この四つの要件を満たした集団は,正確な判断が下しやすい。なぜか。多様で,自立した個人から構成される,ある程度の規模の集団に予測や推測をしてもらってその集団の回答を均すと,一人ひとりの個人が回答を出す過程で犯した間違いが相殺される。*2
こうした集団の意思決定を用いた最も身近で有効性が実証されているシステムが,市場である。
*1:スロウィツキー『「みんなの意見」は案外正しい』(角川文庫)31頁
*2:前掲・スロウィツキー31頁
直感を根拠にした主張は,悪い主張ではない。
法解釈の過程で,「結論の妥当性」が問題になる。
価値判断が前面に出てくる。
価値判断同士の対立は,通常の論理では解消できない。
各々の直感に拠らざるを得ない。
直感による場合でも,議論は成立する。
直感それ自体も,批判の対象となり得る。
「その直感は嘘だ」とは言えないが,「その直感は不合理である」とは言い得る。
道徳的直感の中には規範的議論において尊重に値しないものがある。その中には,誤った事実認識に起因しているものや,普遍化されたり具体化されたりすると本人でも肯定的に評価できない論理的帰結や事実上の結論に至るものがある。また同一人物が持っている直感がが矛盾する場合は,それらを整合的なものに改訂すべきである。しかしこれらのテストを通り抜けてきた道徳的な直感は,ちょうど科学において反証の最善の試みを生き残ってきた仮説と同様,とりあえずそれ採用しても不合理でない*1。
規範倫理の議論をする際,単に他説の内在的な矛盾を指摘するに留まらず,それに替わる積極的な主張をするためには,何らかの直感が必要である*2。
直感を根拠にした主張は,悪い主張ではない。
直感を根拠にした議論は,悪い議論ではない。
むしろ最後には必要になる。
イギリス議会制度の成功要因
イギリスの議会制度は,名誉革命(1688年)によって変化し,2つの特徴によって成功したとマクニールは考える(マクニール『世界史(下)』133頁以下)。
第1に,議院内閣制。
議員は自由で実際的な党派・政党を形成した。
議会は議会に代表を送り込むことができる人々の利害の変化を絶えず反映した。
内閣はこうした議会のシステムを基礎にしていた。
この政治システムは社会の変化に対応する力に優れていた。
第2に,国債。
議会が弁済義務を負う。従前の政府の借入は国王の借入だった。
イギリス議会はイギリス銀行を設立(1694年)。
イギリス銀行は議会に貸付を行う。この貸付は税金によって返済されることが担保されていた。
議会は戦費を長年に亘って繰り延べることができるようになった。
支払の保証が増大すると利子は低下し,借入が容易になった。
外国人からも借り入れすることができた。
7年戦争におけるイギリスの勝利は国債に拠るところが大きかった。