イギリス議会制度の成功要因
イギリスの議会制度は,名誉革命(1688年)によって変化し,2つの特徴によって成功したとマクニールは考える(マクニール『世界史(下)』133頁以下)。
第1に,議院内閣制。
議員は自由で実際的な党派・政党を形成した。
議会は議会に代表を送り込むことができる人々の利害の変化を絶えず反映した。
内閣はこうした議会のシステムを基礎にしていた。
この政治システムは社会の変化に対応する力に優れていた。
第2に,国債。
議会が弁済義務を負う。従前の政府の借入は国王の借入だった。
イギリス議会はイギリス銀行を設立(1694年)。
イギリス銀行は議会に貸付を行う。この貸付は税金によって返済されることが担保されていた。
議会は戦費を長年に亘って繰り延べることができるようになった。
支払の保証が増大すると利子は低下し,借入が容易になった。
外国人からも借り入れすることができた。
7年戦争におけるイギリスの勝利は国債に拠るところが大きかった。
専門家集団への信頼・法の支配の確立
マクニールは,ウェストファリア条約の締結(1648年)によって宗教革命による騒乱が終息していった後,ヨーロッパの指導者によって専門家集団が重用されるようになったと考える。訓練された専門家は,真理の全面的把握にこだわることなく,激情に駆られることもなく,穏健であると考えられ,支持された(マクニール『世界史(下)』126頁)。
そして,専門家集団は,他の専門家集団に干渉しなかった。
各集団は自由に行動し,多元性と妥協が成立した(同127頁)。
アンシャン・レジームは,法の支配を確立した。
ルイ14世の死後,フランス貴族たちは既得権益を奪還するための手段として,軍事力を用いなかった。
法的手段と議論を用いた(同131頁)。
仏教とアドラー心理学の共通点及び差異
今を生きる,ということについて。
アドラーは目的論。
仏教は因果応報。しかし決定論ではない。
仏教は,現在は過去(世)の業に依るとする。ただし,いまこの瞬間に善を行った「果」によって次の瞬間に生が好転することは当然あり得る。
前向きに今この瞬間を生きるべきとし、今この瞬間に幸福になれる(救われる)可能性を認めるという点で,仏教とアドラーは共通する。
承認欲求・他者貢献について。
アドラーは承認欲求を満たすことによる幸福を否定する。他者貢献をもって幸福とする。
仏教も承認欲求を満たそうとする行為を否定する。大乗仏教の場合,自他の区別をそもそも否定する。
しかし,仏教は他者貢献をもって幸福とはしない。
他者貢献も,それができない場合には「苦」になる。
仏教は利他行を推奨する。
しかし,利他業(他者貢献)によって幸せになるために推奨しているのではない。
煩悩(執着)を捨てるためである。
自他の区別を否定するためである。
利他が釈尊の生き方(大乗仏教の徒が理想とする生き方)だからである。
存在それ自体が他者貢献である*1と考えて,他者貢献を仏教上も目的と捉えることができるか。
「貢献できている」という主観が働く以上,「貢献できていない」と感じて辛い思いをすることがあり得る。
「苦」は消えないことになる。
他者貢献を目的化することはできない。
また,仏教は存在それ自体(生きていることそれ自体)に価値を見いだしているとは言い切れない。
さらには,見いだすことに価値を見いだしうるのか不明である。
*1:「生存しているだけで価値があり,他人ためになっている。」ということ。
「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」とは,一流の人と時間を共有すること。
道元の言葉を記したとされる『正法眼蔵随聞記』の五には,以下のような話がある(水野弥穂子訳『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫)282頁)。
故人伝ク,「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」ト。よき人に近ヅけば,覚エざるによき人となるなり。
道元は,これに続いて,2つの話をする。
第1に,『倶胝和尚の従者をしていた童子は,特に勉強・修業したわけでもないのに,自分も知らない間に仏道を悟った』という話。
第2に,坐禅をしていると,自分でも分からないうちに突然,悟ることがあるという話。
『霧の中を進んでいると,知らない間に,服が湿る。』
これと同じように,
『よい人と親しくすると,知らない間に,よい人になる。』
つまり,一流の人と時間を共有すると,その薫陶を受け,自分でも知らない間にその道を会得することができる。
起訴後も自動的に勾留が続く根拠
公訴が提起された後,公判への出頭確保及び(又は)罪証隠滅防止を目的として被告人が勾留される場合がある。これを起訴後勾留又は被告人勾留という。
勾留された状態のまま被疑者が起訴された場合,起訴後も自動的に勾留される。
自動的に起訴後勾留へ移行することを直接規定した条文はない。
起訴後も自動的に勾留が続くことの根拠は,刑事訴訟法208条1項の反対解釈である。
刑事訴訟法208条
前条の規定により被疑者を勾留した事件につき、勾留の請求をした日から十日以内に公訴を提起しないときは、検察官は、直ちに被疑者を釈放しなければならない。
(第2項省略)
「…被疑者を勾留した事件につき,…公訴を提起しないときは,検察官は,直ちに被疑者を釈放しなければならない。」
これを反対解釈すると,以下のような考えを導出できると言われている。
『被疑者を勾留した事件について,公訴を提起したときは,検察官は,被疑者を釈放する必要はない。』