SBGZ

仏教,歴史,哲学,法律についての備忘録。

自由の定義

自由は自分勝手ではない。
好きなことができること,でもない。
介入されないこと,である。

社会道徳における「自由」とは,(中略)<自分のしたいことができる>という意味ではなくて,<規範的に許されていることへの介入がない>ということである。*1

<自分のしたいことができる>ことは「自由」と呼ぶより「欲求の実現と呼ぶ方がはるかに誤解を招かないように思う。*2

消極的自由こそが,自由の本質である。

「自分のしたいことができる」という積極的自由は,お膳立てされた自由。紐付きの自由。
助力という名の介入が正当化される。
そして「自由」は後退する。

*1:森村進リバタリアンはこう考える』118頁

*2:前掲・森村119頁

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「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」とは,一流の人と時間を共有すること。

道元の言葉を記したとされる『正法眼蔵随聞記』の五には,以下のような話がある(水野弥穂子訳『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫)282頁)。

故人伝ク,「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」ト。よき人に近ヅけば,覚エざるによき人となるなり。

道元は,これに続いて,2つの話をする。

第1に,『倶胝和尚の従者をしていた童子は,特に勉強・修業したわけでもないのに,自分も知らない間に仏道を悟った』という話。

 第2に,坐禅をしていると,自分でも分からないうちに突然,悟ることがあるという話。

『霧の中を進んでいると,知らない間に,服が湿る。』

これと同じように,

『よい人と親しくすると,知らない間に,よい人になる。』

つまり,一流の人と時間を共有すると,その薫陶を受け,自分でも知らない間にその道を会得することができる。

起訴後も自動的に勾留が続く根拠

公訴が提起された後,公判への出頭確保及び(又は)罪証隠滅防止を目的として被告人が勾留される場合がある。これを起訴後勾留又は被告人勾留という。

勾留された状態のまま被疑者が起訴された場合,起訴後も自動的に勾留される。

自動的に起訴後勾留へ移行することを直接規定した条文はない。

起訴後も自動的に勾留が続くことの根拠は,刑事訴訟法208条1項の反対解釈である。

刑事訴訟法208条

前条の規定により被疑者を勾留した事件につき、勾留の請求をした日から十日以内に公訴を提起しないときは、検察官は、直ちに被疑者を釈放しなければならない。

(第2項省略)

「…被疑者を勾留した事件につき,…公訴を提起しないときは,検察官は,直ちに被疑者を釈放しなければならない。」

これを反対解釈すると,以下のような考えを導出できると言われている。

『被疑者を勾留した事件について,公訴を提起したときは,検察官は,被疑者を釈放する必要はない。』